Marie Schuchインタビュー

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インタビュー記事 前編

2pastedgraphic-1013年5月8日 Marie Schuch宅にて      インタビュアー:Yamashita malou

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━━━幼少の頃はどんな子供でしたか?

  • 男の子のような子でした(笑)。
  • 60年代の頃、父親はエンジニアでしたが、ユートピア思想、特にルドルフ・シュタイナーの影響を受け、仕事をやめ、家族は広大な土地を購入して「自給自足」の生活を実践することになりました。当時はヒッピーのコミュニティーなどはまったく存在していませんでした。
  • 私が子供の頃は、男子の兄弟ふたり、3人の男子従兄弟とともに育ったので、自ずと男の子と一緒に外を走り回って育ちました。ひとりぼっちにならないために彼らと一緒に遊ぶのは必然だったのかも。
  • また、私たちの家庭では読書も大切でした。多くの本を読みました。
  • そして皆、クラシック音楽をたくさん聴きましたね。
  • 残念ながら楽器演奏のお稽古はしなかったので何の楽器も弾けませんが。
  • 両親がそういう生活を始めたので、10歳からは動物の世話や家事の手伝いも沢山始めました。洋服も自分で縫いましたよ。
  • 小学校教育には行かず家庭で必要な教育を受けました。
  • 私立の高校に行きましたが、4回は放校処分を受けました(笑)。
  • 皆と全く異なる、とても自由な家庭環境、家庭教育で育ったのですから 、自由なエスプリ、ワイルドな面があります。
  • ですから、高校の学校の規則、社会的な常識などを守ることは私にとっては難しいことでした。
  • 例えば、家庭では靴を履かなかったので、学校の教室で耐えきれず靴を脱いでしまった。それが放校処分の原因になったことも。放校処分のたびに両親がお金を払ってどうにか学校に戻ることができたのです。普通の生徒が意見しないようなことも、黙っていることができず意見したりしました。
  • けれでも、その後は靴が大好きになりました。靴は美しいオブジェだと思います。
  • ですから、今は靴を沢山もっています。
  • こうして、幾つかの靴はしまわずオブジェとして 陳列して眺めているの(笑)。

━━━どんなことを考えアーティストになったのですか?

  • 私は、生まれながらにアーティストなのです。アーティストに 「なった」のではないのです。
  • 私はこういう環境で育ちましたから、物心がついた時から、アーティストの視線、物事の捉え方をしていたのでしょう。
  • なぜなら興味、探究心など、それらは私にとってノーリミットだったわけですから。
  • どんどん追求、展開できたのです。
  • しかしながら、フランスはご存知のように、ディプロマ(国家資格)の国。
  • 何をするにも何らかのディプロマを取得していないと社会で活動するのは難しい。また、アートをするなら、テクニックを学ぶ必要があると思い、ボザール(美大)に入ったのでした。しかしそこではデッサンや油絵など、私にとってはあまりにアカデミックな美術教育が施されていました。私にはまったく興味がもてませんでした。ですから、ボザールのディプロマは結局持っていないのです。デッサン、絵画は私にとっては既にあるものをコピーする作業であって、それにはまったく興味がわきません。本来の意味のクリエイトをしたかったのです。

━━━師 ジャン・ティンゲリーとの出会い

  • スイスのローザンヌで1965年に出会いました。
  • 初めて会った時は、私はまだボザール(美大)に入る前の頃。
  • 彼は、すでに有名な現代アーティストでした。
  • その後、ボザール に通った期間などもあって、一時コンタクトはありませんでした。不思議なもので、再会し、本格的に彼のアトリエに参加したのはそれからずっと後のことです。

━━━その出会いを通して得たものとは?

  • 彼のアートはご存知のように、メタルのガラクタを集めて(彼は元々時計の技術者だったので)、非常に精巧なメカニズムで動き、音も発生するオブジェを制作していました。キネティックアートとしてアート界でその名を成した人です。
  • 私の育った家庭は自給自足が原則でしたから、当然リサイクル精神に基づいた生活を送っていました。
  • ですから私にとってリサイクルは自分の生活そのものでもありました。彼のアートも、素材はリサイクルされたもの。
  • リサイクルによるアートとの出会いでした。それに彼はメタルを使っているでしょ。溶接技術を初めて覚えたのは、彼のアトリエで!この溶接という作業、いえ、火を使うあらゆる作業は私を熱狂させるのです。
  • 私は、休火山で土地が形成されているオヴェルニュ地方の出身なので、私の血、ルーツが火と何か強い関係を持っているのでしょうね。
  • そう、溶接は、火で素材が溶けて、素材同士をフュージョンさせる力が素晴らしい。
  • だから、私は溶接という技術に情熱を抱いていて、それで仕事ができる鋼鉄類、ガラスを使用しています。

━━━作品作りで最も大切にしていることは?

  • 質問の答えになっているか・・・
  • 人々との出会い、フュージョンかしら。
  • 私の作品は、できあがったオブジェとして固定したものではなく、それを取り巻くあらゆる環境、自然、人、時間と共に有機的に相互作用し、フュージョンするものだと捉えています。
  • だから、そこに人との出会いが必ず生まれるの。
  • 今度のメタリシテだって、こうして山下さんとの出会いが生まれ、それが出版されて、そして伊藤さんとのコンタクトが生まれ、私の作品が東京の彼女のお宅で飾られている!
  • 作品はこうして生きていると捉えています。
  • 作品は人との出会いを、そして、それは私を次の出来事に巻き込んでゆく。そいうインターアクションの連鎖が私の作品なのです。

━━━生活の中で1番大切にされていることは何ですか?

  • 生活にとってバランスは大切なことです。衣食住のバランスを保つこと。
  • 私はこういう育ちのせいでしょうね。通常の人たちと比べると、とても動物的なのだと思います。自分の本能のままに生きています。
  • それは自己のコントロールと微妙なバランスが成立しているのだと思いますよ。ただただ動物的、本能、直感にまかせているだけではありません。
  • 例えば、大変疲れがたまってしまったら、消化器を休めるために1日中水を飲むだけで過ごしたりしますし、満月の頃だと夜を徹して作品制作に打ち込んでしまいます。あと真冬だと2日間寝床で過ごす・・・などなど。
  • 自分の体は『コスモス(宇宙)のリズム』と同調していると感じています。そういう意味で動物的という言葉を使いました。それで自分の体調はすこぶる快調なのです。そうしながら自分をコントロールにしているのですね。
  • 例えば、ここ数年、オヴェルニュに一人住む老母の体調が思わしくなく頻繁に実家に戻って母のお世話をしてきましたが今度、病院に入院したので大きな心配、不安、自分の無力さ、家族のこと、など様々な思いで頭が一杯になり、精神的なしこりができてしまう日々なのです。このような『精神のしこり』を解きほぐすために、ヨガと、自分の経験的テクニックを合わせた超越瞑想を行っています。
  • 思うに、自分の本性の奥底にとても信頼できる、ソリッドなベースを持っているのだと。ですから、そこから発生している現象は動物的、本能的であっても、自分にとってある意味正しい行動であると信頼できるのですね。
  • 後編へ続く